狂気と天才は紙一重って、本当?ーHans J. Eysenckー

相談のノウハウ
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こんにちは

管理者 とも@生き方カウンセラーです

私は、映画を見るのが幼い頃から好きでした

昔、「レインマン」という映画がありました

兄役がダスティ・ホフマン、弟役がトム・クルーズという兄弟の映画で、兄が数字をすぐに覚えてしまう特殊な能力がある、今でいう自閉症スペクトラムを抱えている人、と記憶しています。この兄の天才さに、びっくりしたのを記憶しています

 さて、こども園や学校の先生方の中には、「あの子、頭いいんだけど、他の子と馴染まないんだよねー」とか、「あの子、発想が豊かすぎ〜天才かも・・・」など、「狂気と天才は紙一重って聞いたことある・・・」に実感を持たれる方もいらっしゃると思います

パーソナリティ理論のHans J. Eysenck(以下、「Eysenck」とします」より「天才と相関するのは精神病(本格的な狂気)ではなく精神病傾向である」としております

Eysenckの関心は、人格全体を構成している細部の特徴よりも人間の気質自体でした

Eysenckは気質を心理学的かつ遺伝的に決定されたものとみなし、縦軸を「神経症傾向ー情動的安定性」傾向、横軸を「外交的ー内向的」傾向とする人格の円状のかたちをした「特別因子」測定法を提案しました

さらに、Eysenckは、「精神病傾向(一般的な用法では、「狂気」と置き換えられている)」という第3の類型を発見しました

Eysenckが見いだしたのは、多くの人格的特性が相互に関連しあって、精神病傾向を生みだしているということでした

この尺度で高い値を示すものは、たいてい攻撃的で、自己中心的、非人格的で衝動的、反社会的で協調性がなく、創造的で強い意志を示します

天才は、創造性の最高の形式とみなされていて、その土台はとても高い知能(IQ165以上は不可欠)にあります

しかし、知能の高さだけでは十分とは言えません

知能のもう一つの重要な構成要素は、私たちが問題解決のために、記憶から異なったいくつかの観念を取り出してきて、それらを問題に対する新たな解答にしたてあげるかたちで用いる際の心的な探究過程です

これは、IQに左右されない能力で、相関するものについての拡張的で過度に包括的な観念(潜在的な可能性としてあまりに多くのものを未すぎる)から、極端に幅の狭い観念(ほんのわずかな観念しか見えない)までの尺度に従って発揮されます

Eysenckが精神病傾向と創造性との特徴として明らかにしたのは、この過度に包括的な思考とIQの高さが同時にあらわれると、結果として創造的天才が生じます

また、過度に包括的な思考と精神病の兆候とがいっしょにあらわれると、程度の差はあるものの、精神病を発症するばあいがあります

Eysenckの考えでは、創造性と創造的達成にとっての潜在能力を用意する人格的特性だが、その潜在能力の現実化は(精神病が認められない場合には)精神病傾向の性格的特性に左右されます

創造性の特性をたとえば芸術作品の創造のような達成へと変換する衝動は、精神病気質の、とりわけ過度に包括的な思考スタイルの諸側面からやってきます

このように示したからといって、Eysenckは天才と狂気のあいだに因果連関をほのめかそうとしているのではありません

二つの事柄の間に共通なものー過度に包括的な思考ーが認められるとしても、それがどんな特徴の天才あるいは狂気と結合するかによて、結果はまったく違ってきます

Eysenckは、ヴンセント・ファン・ゴッホのような創造的天才の偉人などから「狂気と天才は紙一重」のようなことを示したと考えられておりますが、必ずしもそうではなく、「精神病」ではなく、「精神病傾向」の特性があることを示していると考えます

みなさまは、どのように考えられますかねぇ

最後まで、「これからの学校を作る相談室」をよんでいただき、ありがとうございました

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参照 三省堂「心理学大図鑑」(2013年)

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